Herissey Family: a meeting point for Jumeau and Belton...

ベルトンとジュモーは兄弟になる ジュモー・ストーリーのキーマンである、Louis Desire BELTON(ベルトン)は、1805年パリで生まれました。ブルジュワ・ファミリー出身のベルトン家はワイン商でした。

それは父親の代からで、一人息子のベルトンにとって、ワイン商になることは自然なことでした。彼は父親の店で働いていましたが、このままワイン商の仕事を継ぐことより、興味ある事を見つけたのでした。そして彼は、後に人形メーカーであったエリセー社で、セールスマンとしての仕事を選んだのです。それはエリセー社が、14, rue salle au Comte(レ・アール近く)にアトリエを持ったすぐ後のことでありました。
ベルトンのパリでの豊富な経験、確かなビジネスセンスと人脈は、
エリセー社の中で多いに役立ちました。その後、エリセー夫妻が養女に迎えた娘、ジェニーと出会い、彼らは1837年1月21日に結婚しました・・・

一方、ピエール・ジュモーは、パリでベルトンと出会った後 Amelie(アメリー)という女性と出会います。
エリセー夫妻は、1839年にMr.エリセーの妹が亡くなり、
残った二人の娘を、彼女らが結婚するまで面倒を見ることを決めました。アメリーは、その二人の娘の一人でありました。もう一人の娘の名は、Pauline(ポウリン)と言いました。

想像してみて下さい! 21歳の若く可愛らしい女性と、誠実でエレガントな男性です!
互いの写真を持ち、思いを深めます。彼らはもちろん
結婚します。1841年1月12日ピエール・ジュモー30歳の年です。

ピエール・ジュモーとアメリーの結婚は、
これまでのベルトンとジュモーの関係をより深め、互いに協力しあいました。ベルトンはピエール・ジュモーの6歳年上でありましたが、互いに尊敬し合い友情を築きました。そして彼らの結婚は、エリセー夫妻がリタイヤを考える切っ掛けとなりました。それはエリセーのビジネスを「素晴らしい子供たち」に譲るチャンスであり、そしてエリセー夫妻が、面倒を見てきた姪たちに対する責任から解放されることでありました。年老いたカップルは、14年間続けて来たハードな仕事と大きな責任から離れ、休息できる幸せを噛み締めていました。
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ここから、
この時代の重要な人形メーカであったエリセーの物語は、
ベルトンとジュモーのステージへと移って行くのでした・・・